ホームに滑りこんできた電車に足を踏み入れたとき、陽はすでに傾き、駅舎の屋根の向こう側へ隠れてしまっていた。人もまばらな閑散とした車内はいくらか埃りっぽい。窓に下ろされたシェードに午後の陽射しの残滓が染みこんでいる。夕闇がせまるにつれ、冷えた外気が車内にこもった僅かな熱を拭うように吸い取ってゆく。初冬の夕暮れはいかにも足早だった。
 次の指令のミーティングポイントまで、駅七つ。市丸は路線図を確認すると、近くの長椅子に腰をおろした。扉が閉まり電車が発車すると、矢庭に上昇したスピードに景色が飛ぶように流れていく。キイキイと車両の連結部が軋む音、車輪が線路の継ぎ目を踏む規則正しい音が鼓膜を振るわせる。しかしその騒がしさも、車両の外側を摩擦するように流れてゆく景色も、けっして人気のない車内の空気を賑わせるには至らなかった。夕暮れ時の車内はまるでそこだけ世界のどこからも隔離された場所のように、どこまでも静謐だった。ときおり建物の合間から弱く射し込む陽が、窓枠にもたれ、床に横たわっては消えていく。
 久しぶりの下界だった。とはいえ、市丸は義骸(ぎがい)に入っていたわけではなく、このような人間の交通手段に頼らずとも自力で長距離を移動することは可能だった。それでも現世に降りてきたときは、余裕のある限り電車を利用するのが常となっていた。途絶えることのない定期的なリズムを刻みながら走る列車の、その音がどこか心地よいものであったからだ。遠い、遠い昔の記憶。自分のずっと深いところに染み付いている音。それに似ているのだと思った。
 市丸は、京都西陣に代々続く機織の家に生まれた。赤ん坊のときから、傍らで職人たちが機を織る騒々しい音を聴いて育ったため、そのせいで今でも耳が少し遠い。市丸が家業を継ぐことはなかったが、電車の座席に座って瞼を閉じると、その姿は鮮やかに脳裏に浮かんだ。足踏みを踏みかえるたびにさざめく織機たち。繊細に且つ何百重にも走った縦糸、そこに横糸をくぐらせる人々の、魚が泳ぐような手の動き。
 ひらひらと手のひらを揺らすと、筋の合い間にこびりついていた血糊が剥がれて、パラパラ落ちた。





 なつかしい、夢を見ていたのかもしれなかった。
 ふと解けかけた意識が、甲高いベルの音に引き戻される。そうだ、電車の発車音。ホームを見やると、駅名から察するに目的地の一つ手前のようだった。
 すでに日は落ち、座席から床へ下りている足の数も変わらず片手で足りるほどだ。そうした人々の足元を見やると、なかには影のないものがあることに気付く。顔を上げると、その足の持ち主と目が合った。相手は市丸を恐れるように、窓をすり抜けて去っていく。
 黙ってそれを見送っていた市丸は、こちらに向けられた食い入るような視線に気がついた。
 どうやら先ほどの六つ目の駅で乗車し、市丸の向かい側に座った少年のようだった。
≪……この子は、生身の人間…やねんな……≫
 死神である自分の姿は人間には視えない。多少の霊感のある者にも、声は聞けても姿まで視ることはできないはずだった。思わず首を振って周りを確認する。目を見張って凝視するに値するようなものは何一つないように思われた。にも関わらず、その視線は確実にこちらへ向けられている。
 痩せぎすの、六、七歳の子どもに見えた。まず何より短く刈られた明るい色の髪に目が奪われる。萱草(かんぞう)色だ、と何故か直感的に思った。夏に咲く淡い橙の花だ。見開かれた瞳もやはり色素が薄く、驚きのほかに明らかに怖れも見え隠れしていた。そうして市丸はようやく己の姿を確認して得心した。先刻の指令での戦闘時、受けた返り血により、白の羽織がその白い部分を探すのが困難なほどどす黒く染まっていたからだ。子どもを怯えさせるには充分だったに違いない。
 少年は、市丸を単なる霊体ではないと察したらしかった。座席に腰掛けたまま直立不動の体勢は変わらず、こくりと咽喉を鳴らせると、怪我は酷いのか、と訊いてきた。
 少年が震える声で、ようやくしぼり出したらしい質問の内容に、市丸は意外さのあまり無言で応えた。それから、これは返り血で自分は傷を負ってはいない、と話すと、少年はさらに目を丸くしつつも頷いた。君は僕の姿が見えるんやね、と尋ねると、また頷いた。難儀な坊やなあ、とぼやくと、そのまま小首を傾げる。その仕草が少年をよけいに幼くみせた。
 死神が視認できるほどの霊力の持ち主。そしてそれを扱う術を知らない子ども。放っておけば虚(ホロウ)に目をつけられるのは時間の問題だ。
 そこに至って、まさか、と思う。
「君、もしかして次の駅で降りるんか」
「え?何で知ってんだ?次の駅は家があるけど…」
 些か状況に慣れた調子で、訊かれるがままに自宅の場所を答えた少年に、市丸は確信した。指令で伝えられた座標と一致する。
 次の虚の狙いはこの子か。
「君、悪いこと云わんから、次は降りずにこのまま先へ行き」
「…ええ!?何でだよ!」
 少年の反応は至極当然ともいえたが、事情を説明する時間もなければ、その手間も惜しかった。
 少年が困惑気に叫んだときには、電車はすでに減速し、七つ目の駅の明かりが前方に灯っている様子が見てとれた。
 市丸は立ち上がり少年の前まで歩み寄る。気圧されたように座席の背もたれに身体を押し付ける少年の額に、市丸は手を差し出した。
「ええ子やね、縛道は使わせてんといてや」
 息をのんで言葉もない少年に、市丸はそのまま語り続ける。電車がホームに差し掛かる。
「次の駅から五つで終点や。そこまで行ってから戻っといで」
 少年がわずかに首を縦に振ったのが、額に当てた手から伝わった。
 ガタン、と車内が揺れ、ホームに到着した電車が扉を開く。
「それから」
 まばらに人が降り、発車ベルがホームに鳴り響く。
「君の萱草色の髪に免じて、僕のことは忘れてや」
 かんぞういろ、と呟く少年に、忘れ草のことや、と応えると、市丸は手をひらひら振りながら、開いた扉からひょいと姿を消していた。





































「バイバーイ」のファーストコンタクトに色めきたったいきおいで書いたギン一。
ギンちゃんのどこがすきかって、一護のオレンジ頭をうっかり「萱草色」とかゆっちゃうところですよ。ええとちなみに機織の家に生まれて、というのはまったくの捏造設定です。031005